先日、念願の伊江島へ行ってきました。
伊江島は第二次世界大戦当時、「東洋一」と言われた飛行場があったことから、米軍の攻撃の標的となりました。
4月16日明け方に戦闘が始まり、朝8時には米軍が上陸。
4月21日の昼ごろには米軍は掃討戦に突入、そして午後5時半に米軍は伊江島の完全占領を宣言しました。
この戦闘で日本軍4706人、米軍172人の死者が出た。戦死傷者の合計は1120人にのぼりました。
伊江島には戦跡もたくさん残っています。
今回は日帰り日程だったこともあり全て回ることは出来ませんでしたが、その中でも印象的だった場所を紹介したいと思います。
まずは有名な「公設質屋の砲弾壁」。
当時の戦闘の激しさを生々しく伝える戦跡でもあります。

風化はしているものの、当時の様子を静かに語る「戦争体験者」の一人です。
そして、飛行場跡。
車で測ったところ、約2.3キロ、幅は私の足で50歩弱でした。
実際の記録とは違っているとは思いますが、実際に私が測った数字を敢えて書いておきます。
何と広いのでしょう・・・。
読谷北飛行場も広いですが・・・。
読谷飛行場の幅・距離も今度測ってみます。
そして、アーニーパイル碑。
彼は米軍の従軍記者でした。
1944年ピューリッツァー賞を受賞しましたが、翌年、従軍先の沖縄県伊江島にて日本兵に狙撃され戦死しました。
その碑の周辺は芝が綺麗に刈り込まれ、広い場所に碑だけがポツンと立っていました。
そして・・・。
ヌチドゥタカラの家。

ここは阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)氏が基地撤去のために闘い、反戦平和の思いを伝えるため、自費で自宅敷地内に建設した反戦平和資料館です。1984年12月8日開館し、県内外から訪れる人々に戦争の愚かさと平和の尊さを説き続けています。
昌鴻氏は、沖縄県の本部町の生まれです。
17歳でキリスト教徒となり無教会主義に強い影響を受けました。成人して伊江島へ渡り結婚。1925年にキューバへ移民。その後、ペルーへ移り1934年に日本へ帰国しました。
帰国後は京都や沼津で学び、伊江島に帰った後はデンマーク式農民学校建設を志し奔走しました。建設中の学校は沖縄戦で失われ、一人息子も戦死しました。
敗戦後、伊江島の土地の約六割が米軍に強制接収された際、反対運動の先頭に立ち「伊江島土地を守る会」の会長を務めました。
1955年7月から1956年2月までのあいだ、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行い、米軍による土地強奪の不当性を訴えました。
2002年3月21日、肺炎で亡くなられました。
ここは、本当に空気が違いました。
それなりの数の戦跡、集団自決の地などにも行きましたが、初めて「震えが止まらない」状態になりました。
数珠の跡が手に残るくらい強く握り締め、震える手を抑えながらメモを取りました。
中には沢山の横断幕や戦中の衣服や薬莢、資料などで埋め尽くされていました。
写真を載せたいところですが・・・。
手が震えていたため、殆どがピントがズレているため・・・。
自筆で書かれたたくさんの張り紙、そして写真とともに語られる歴史。
館の外壁にもビッシリと文字が書かれていました。
そして、同じく昌鴻氏が建てた「団結道場」。
道を走っていると突然現れたその建物は、なんだか只ならぬ雰囲気を醸し出していました。

壁面、壁の裏、トイレ(のような場所)と、壁という壁に聖書を思わせるような・・・キリスト教の教会の入り口に書いてありそうな文句が書かれていました。
ここは島の西部に平和を願って合掌するように建てられています。
1961年7月、会長阿波根昌鴻氏を中心に「伊江島土地を守る会」が設立されました。会では、自分たちの力で土地を守るため、学習の場、村外や県外から訪れる人の宿泊の場として、また戦争をする無知な米軍に人間教育をするための場として団結道場を創ることにしました。
暴行、監禁など幾多の米軍の妨害を乗り越え1970年5月に着工し、9月に完成しました。
1980年までは宿泊研修所として使用されていましたが、現在は伊江島土地闘争の歴史を語り継ぐシンボルとなっています。
今回伊江島を訪れた際、東京の高校生の修学旅行と重なりました。
彼らの言動、行動を見ていると・・・。
戦争の風化は仕方ないことなんだ、そう思わずには居られませんでした。
しかし、そうではなく。
絶対に伝えていかなければならないことだと思うんです。
興味のない子に押し付けることがいいことか?
そういう問題なんだろうか・・・。
じゃぁ、歴史教育なんてやらなくていいと思う。
それに、「負の遺産」を負っているのは沖縄だけではない。
広島、長崎だけでもない。
日本人全員が負っているものだと思う。
伊江島の美しい自然に触れ、悲惨な戦史に触れ、複雑な思いで帰ってきました。
伊江島の戦跡についてはガイドブックも出ています。
『伊江島平和ガイドマップ解説書』財団法人 わびあいの里 出版
沖縄国際大学総合文化学部社会文化学科の石原先生とそのゼミ生の皆さんの作品です。
値段は1000円。
興味のある方は、是非手にとって見てください。
伊江島は第二次世界大戦当時、「東洋一」と言われた飛行場があったことから、米軍の攻撃の標的となりました。
4月16日明け方に戦闘が始まり、朝8時には米軍が上陸。
4月21日の昼ごろには米軍は掃討戦に突入、そして午後5時半に米軍は伊江島の完全占領を宣言しました。
この戦闘で日本軍4706人、米軍172人の死者が出た。戦死傷者の合計は1120人にのぼりました。
伊江島には戦跡もたくさん残っています。
今回は日帰り日程だったこともあり全て回ることは出来ませんでしたが、その中でも印象的だった場所を紹介したいと思います。
まずは有名な「公設質屋の砲弾壁」。
当時の戦闘の激しさを生々しく伝える戦跡でもあります。
風化はしているものの、当時の様子を静かに語る「戦争体験者」の一人です。
そして、飛行場跡。
車で測ったところ、約2.3キロ、幅は私の足で50歩弱でした。
実際の記録とは違っているとは思いますが、実際に私が測った数字を敢えて書いておきます。
何と広いのでしょう・・・。
読谷北飛行場も広いですが・・・。
読谷飛行場の幅・距離も今度測ってみます。
そして、アーニーパイル碑。
彼は米軍の従軍記者でした。
1944年ピューリッツァー賞を受賞しましたが、翌年、従軍先の沖縄県伊江島にて日本兵に狙撃され戦死しました。
その碑の周辺は芝が綺麗に刈り込まれ、広い場所に碑だけがポツンと立っていました。
そして・・・。
ヌチドゥタカラの家。
ここは阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)氏が基地撤去のために闘い、反戦平和の思いを伝えるため、自費で自宅敷地内に建設した反戦平和資料館です。1984年12月8日開館し、県内外から訪れる人々に戦争の愚かさと平和の尊さを説き続けています。
昌鴻氏は、沖縄県の本部町の生まれです。
17歳でキリスト教徒となり無教会主義に強い影響を受けました。成人して伊江島へ渡り結婚。1925年にキューバへ移民。その後、ペルーへ移り1934年に日本へ帰国しました。
帰国後は京都や沼津で学び、伊江島に帰った後はデンマーク式農民学校建設を志し奔走しました。建設中の学校は沖縄戦で失われ、一人息子も戦死しました。
敗戦後、伊江島の土地の約六割が米軍に強制接収された際、反対運動の先頭に立ち「伊江島土地を守る会」の会長を務めました。
1955年7月から1956年2月までのあいだ、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行い、米軍による土地強奪の不当性を訴えました。
2002年3月21日、肺炎で亡くなられました。
ここは、本当に空気が違いました。
それなりの数の戦跡、集団自決の地などにも行きましたが、初めて「震えが止まらない」状態になりました。
数珠の跡が手に残るくらい強く握り締め、震える手を抑えながらメモを取りました。
中には沢山の横断幕や戦中の衣服や薬莢、資料などで埋め尽くされていました。
写真を載せたいところですが・・・。
手が震えていたため、殆どがピントがズレているため・・・。
自筆で書かれたたくさんの張り紙、そして写真とともに語られる歴史。
館の外壁にもビッシリと文字が書かれていました。
そして、同じく昌鴻氏が建てた「団結道場」。
道を走っていると突然現れたその建物は、なんだか只ならぬ雰囲気を醸し出していました。
壁面、壁の裏、トイレ(のような場所)と、壁という壁に聖書を思わせるような・・・キリスト教の教会の入り口に書いてありそうな文句が書かれていました。
ここは島の西部に平和を願って合掌するように建てられています。
1961年7月、会長阿波根昌鴻氏を中心に「伊江島土地を守る会」が設立されました。会では、自分たちの力で土地を守るため、学習の場、村外や県外から訪れる人の宿泊の場として、また戦争をする無知な米軍に人間教育をするための場として団結道場を創ることにしました。
暴行、監禁など幾多の米軍の妨害を乗り越え1970年5月に着工し、9月に完成しました。
1980年までは宿泊研修所として使用されていましたが、現在は伊江島土地闘争の歴史を語り継ぐシンボルとなっています。
今回伊江島を訪れた際、東京の高校生の修学旅行と重なりました。
彼らの言動、行動を見ていると・・・。
戦争の風化は仕方ないことなんだ、そう思わずには居られませんでした。
しかし、そうではなく。
絶対に伝えていかなければならないことだと思うんです。
興味のない子に押し付けることがいいことか?
そういう問題なんだろうか・・・。
じゃぁ、歴史教育なんてやらなくていいと思う。
それに、「負の遺産」を負っているのは沖縄だけではない。
広島、長崎だけでもない。
日本人全員が負っているものだと思う。
伊江島の美しい自然に触れ、悲惨な戦史に触れ、複雑な思いで帰ってきました。
伊江島の戦跡についてはガイドブックも出ています。
『伊江島平和ガイドマップ解説書』財団法人 わびあいの里 出版
沖縄国際大学総合文化学部社会文化学科の石原先生とそのゼミ生の皆さんの作品です。
値段は1000円。
興味のある方は、是非手にとって見てください。
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この記事へのコメント
高校生達の言動はやむを得ないと思います。僕が高校生の時戦争に触れることがないからもしそのような場所に行ったら同じような言動、行動だったかもしれません。それに高校時代は歴史のことといえば単語ばかりしか覚えてなかった。
修学旅行で戦争の被害が多かった地方に行く際は地方で遊ぶ計画ばかりたてず事前学習などで歴史を学んでいかせるべきだろう。
でもそれをどう伝えていくかですね。
今の子供達に伝えるのは難しいだろう。戦争のことばかりやっていれば伝わるだろうがただ話をするだけでは伝わりきらない。そしたら戦争の跡地なども目でみて感じさせなければ鮮明には残らないと思う。
壁に囲まれていると思いますが影ながら頑張ってください。僕は沖縄に行く友達や後輩の子達に色々意見を聞いてまたお邪魔したいと思います。
修学旅行で戦争の被害が多かった地方に行く際は地方で遊ぶ計画ばかりたてず事前学習などで歴史を学んでいかせるべきだろう。
でもそれをどう伝えていくかですね。
今の子供達に伝えるのは難しいだろう。戦争のことばかりやっていれば伝わるだろうがただ話をするだけでは伝わりきらない。そしたら戦争の跡地なども目でみて感じさせなければ鮮明には残らないと思う。
壁に囲まれていると思いますが影ながら頑張ってください。僕は沖縄に行く友達や後輩の子達に色々意見を聞いてまたお邪魔したいと思います。
Posted by 通りすがり at 2008年01月30日 05:04
>しかし、そうではなく。
絶対に伝えていかなければならないことだと思うんです。
熱い熱意をお持ちですね。
思い切って、沖縄での体験を同人誌に仕上げ、コミケで売ってみるような方法を取るのも手かもしれませんよ。
受験の為の暗記科目に飽き飽きしている高校生達にはいい刺激になるかもしれないし、「関心が無い」のでなく「きっかけが無い」だけかもしれないから。
絶対に伝えていかなければならないことだと思うんです。
熱い熱意をお持ちですね。
思い切って、沖縄での体験を同人誌に仕上げ、コミケで売ってみるような方法を取るのも手かもしれませんよ。
受験の為の暗記科目に飽き飽きしている高校生達にはいい刺激になるかもしれないし、「関心が無い」のでなく「きっかけが無い」だけかもしれないから。
Posted by すぎやんま at 2008年05月13日 17:38
通りすがりさん>
ありがとうございます。
確かに、触れ合うきっかけというのは中々ないものでしょうね。そういうきっかけを作るのが私の目的なのかもしれません。
かわいそうだと思った。
この感想が一番多いと思います。しかし、そんな「他人事」のような感想が虚しく聞こえる今日この頃です。
どうしたらいいのか。もう、「他人事」の世代になっているのだろうか。
すこしでもいいから、身近に感じて欲しいと思いました。
ありがとうございます。
確かに、触れ合うきっかけというのは中々ないものでしょうね。そういうきっかけを作るのが私の目的なのかもしれません。
かわいそうだと思った。
この感想が一番多いと思います。しかし、そんな「他人事」のような感想が虚しく聞こえる今日この頃です。
どうしたらいいのか。もう、「他人事」の世代になっているのだろうか。
すこしでもいいから、身近に感じて欲しいと思いました。
Posted by 澪標 at 2008年05月26日 23:40
すぎやんまさん>
確かに、高校の歴史は「暗記科目」の代表格ですものね。
私自身、本当の歴史の面白さを知ったのは大学の講義を聴いてからだったと思います。
本を読んだりしていましたが、やはりそれは「読書の世界」ですものね。
若い人たちの手助けが出来るよう、これからも活動していきたいと思います!
>思い切って、沖縄での体験を同人誌に仕上げ、コミケで売ってみるような方法を取るのも手かもしれませんよ。
こっちは、私の専門外の分野なので、近しい知り合いに既に頼んでいますw
彼女もまた、沖縄戦に触れたことによって触発してくれたようです。
しかし、簡単に書き表すことが出来ない。恋愛モノのように気軽に書けるものでは無いから、と苦悩しているようです。
彼女の作品が出来上がることを、私は本当に心から願っています。
確かに、高校の歴史は「暗記科目」の代表格ですものね。
私自身、本当の歴史の面白さを知ったのは大学の講義を聴いてからだったと思います。
本を読んだりしていましたが、やはりそれは「読書の世界」ですものね。
若い人たちの手助けが出来るよう、これからも活動していきたいと思います!
>思い切って、沖縄での体験を同人誌に仕上げ、コミケで売ってみるような方法を取るのも手かもしれませんよ。
こっちは、私の専門外の分野なので、近しい知り合いに既に頼んでいますw
彼女もまた、沖縄戦に触れたことによって触発してくれたようです。
しかし、簡単に書き表すことが出来ない。恋愛モノのように気軽に書けるものでは無いから、と苦悩しているようです。
彼女の作品が出来上がることを、私は本当に心から願っています。
Posted by 澪標 at 2008年05月26日 23:45
澪標さんの沖縄体験記をそのまま同人誌に描いてもらってもインパクトが強いと思いますよ。当時の人を主人公にするのは難しいし、今の人との接点も小さいので。
Posted by すぎやんま at 2008年06月04日 00:56


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